ノイズを消したつぶやき。
自分がやっている事はわかってても、なんでそれをやっているのか?なんてわかって生きている人なんて、そうはいないとおもうよ。 思ってる以上に自動的だし、自分の意思でなんて決めれる事は少ない。 自分で決断していると思ってても、誰がそれを保証できる。そんなのできやしないよ。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 7
普遍的絶対的な正義なんてものは無い!ときっぱり言い切ると、それはそれで反発を食らうのだけど、そりゃ善悪を区別して行きてる人間にしてみりゃ害でしかないので仕方ないわなぁと思い知らされる。昨今 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 21
それもそのはずで、普遍的絶対的正義なんて存在しないよ!と言い切るという事は、それだけで、普遍的絶対的正義は無いを貫く正義の立場にたってしまって、それだけで矛盾を孕んでしまっているんだよね。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 21
人間って普遍的絶対的正義を信じるあまり、自分の気に食わないものを悪と思い込むものだらか、気を付けましょうねという話なのだけれども、おいらの場合は我が強い為に、普遍的絶対的正義を信じちゃってる立場なんだろうな。と — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 21
嫌いな人が居ないのが一番幸せなんだけど、嫌いな人から好かれる事って不幸だよね。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 28
閉じられたテキストに価値を見出すというのは、原作がの方が絶対的に素晴らしい標榜することだと思えば理解が早い。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
理屈で切り返せない批判の言葉を言われた時には、どのような心構えが必要かを真剣に考える 考えれば考える程、自分自身が批判の言葉を言われても仕方ないわなと思えてくるから更にこたえる どーでもいーといえる屈強な精神が欲しいな。【しょぼい・さむい・安っぽい最もこたえる批判の言葉 三強】 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
人間の行動って思っているとき以上に結構自動的。例えばご飯を食べる時に左手に茶碗で右手の箸はこう持ってって真剣に考えているだろうか?ロボコップのワンシーンで博士の台詞が信じられないと云っている人が居たけど、人間てそんなもんよね、機械と人間に実はたいした境界なんてないんだよ — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
そもそも、物事に境界が無いなんて考えはあらゆるものに言えることだしね。あらゆるものが相互に依存して存在している以上、そこに境界は存在し得ない — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
博士が「攻撃プログラムが勝手にターゲットを破壊する。破壊後に脳が自分で判断して破壊したと思い込む」という台詞があったのだけど、言いたいことを言ってくれたなと云った感じ。脳機能の話だね。心理学的にはどう言うんだろ? #映画ロボコップ — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
境界なんてモノは便宜上、人間が勝手に決めつけているにすぎないことで、当事者でない限り、俯瞰してみるとわりとどーでもいーことなんだよね — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
無常観を心得ているもしくは理解しているからこそ、儚さを美徳と感じる。 桜の季節ですね。花見をしましょう! pic.twitter.com/BUKbPJSjLG — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
『幽霊より生きた人間の方が怖い』という言葉が皮肉であるということに最近気付いて衝撃を隠せないでいるのと同時に、いかに自分がピュアであったか?ということを思い知らされた — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 29
”存在の不安” と、 ”生存の苦” って分けて考えるべきだよね。貧困による生きる為の生活苦と、若者の不安って同じところにあるように見えて全然違うところにあるように感じる。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 30
絶対的に肯定してくれる存在を求めてしまうもんだけど、僕が創りたいモノって言うのはそういう存在なのかもしれない。自己肯定ができるシステム。自己肯定をしてくれるサービス。出来ることと求めていることが結びつくというのは、その結びつきによって自己肯定できるということなんだろうな。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 30
誰もが自分を受け入れて欲しいからね。その絶対的な存在が母親なんだろうけど、母親という存在はいつか居なくなってしまうだろうし、居ない人もいる。だからこそ、神という存在が発明されたんだろうな。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 30
誰もがみんな、出来ることをやれるだけ出来て、満足できる社会になって欲しいとは切実に願っているよ。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 30
生きていることに実感を感じて、わりと楽しんでるからねぇ…って言えたらその日の目標は達成できた気がする。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 30
生きることは物理だけど、生きている実感は心の中にあるから、物理と切り離しても成り立つんだよなぁ…としみじみ思う。と同時に、物理で幸せになれるなんて言うのは幻想なんだよというと、それはそれで現代の物質社会を否定するようで嫌だ。Mac好きだし、iPhone楽しいし、ガンダムに乗りたい — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 31
死を目の当たりにして、切実に生きたいと願っていた時があったとしても、時が経って、生きたくない思うひとはいる。 そういうのを知ると、自分というのは、今この一瞬にしかいなくて、過去と未来の自分なんてモノは他人とそう変わらないような気がするね。 — TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 3月 31