結ぼれ る思考。心のバイブル

criticism-2Hi! ハローハロー!!
Peerthで”いちばんめだつひと”たーくんです!

 

前回からの続き『心のバイブルについて、話しますよ…と。』

おいらは自分の罠にはまる事がありまして、思考が内向的と言いますか、考えが内へ内へと向かっていって外に出れなくなってしまうんですね。外に出れないというのは、自分の気持ちを外に出せなくなってしまうという意味なんですが、結構これが難しい。

今となっては”相手の思う自分の気持ちと、自分の思う自分の気持ち。相手の思う相手の気持ちと、自分の思う相手の気持ち”の差異が一致しないものだと、わりかし納得できるようになってきましたが、たまにこの差異が”存在しない勘違い”に見舞われて被害妄想となってしまう事も多々あります。

こういった現象をおいらは結ぼれるとよんでいますが、罠にはまると恐ろしいものでして、蟻地獄のように陥ると出て来れない状態になります。

そういった状況になっているというのは、自分では自覚しているものでして、外には出さないようにした結果が結ぼれでして、黙り込んでいたらもうアウト、救いようの無い状態にまで達しているなと、察して頂けるとありがたいです。
但し、この状態に陥ると察して頂いたとしても思考が結ぼれているので、どうにもならないとご理解ください。

しかしまぁ、それはもう今は昔、ある”本”との出会いが僕の思考を外向きにさせてくれたおかげで、”結ぼれ”から救われたのでした。

 

重たい話ではありません。中二病を拗らせた愚か者(笑)の話です。

 

 

彼らはゲームをして遊んでいる。彼らはゲームをして遊んではいないふりをして遊んでいる。彼らが遊んでいるところを私が見物しているのを、彼らに見せつけようものなら、私はルール違反をすることになり、そして彼らは私を罰するだろう。
私がゲームを見物しているのを見ないでいるのが彼らのゲームなのであって、私は彼らの仲間に入って遊ばなくてはならない。

 

 

これぞまさに、 ”相手の思う自分の気持ちと、自分の思う自分の気持ち。相手の思う相手の気持ちと、自分の思う相手の気持ち”が混ざりあい結ぼれてしまっている状態といえますね。

これは、おいらの心のバイブル『 結ぼれ 』からの引用です。

秋から冬にかけて、この季節になるとおいらはこの本を引っ張りだします。ある時は机の上に山のように積まれ埃のかぶったた中から、またある時はは無造作に放り込まれた段ボール箱から取り出します。
どちらももう読まないからと、しまい込んでしまうのだけど、なんだかんだで毎年取り出しては読んでいます。

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この赤い本は『苦』の連なりであり、結ぼれてほどけなくなってしまった『心の叫び』を詩集という形で表現されています。

肌寒くなって、少し寂しい気持ちになった時に何だか読みたくなるんですね。
そして、読む度に何故だか救われた気持ちになる。

ページコンテンツ

自らを客観的に見つめ直す本であり自分との対話である

相手を思うあまりに深い思考の渦に呑み込まれ、相手もまた自分のことを思ってくれるあまり、深い思考の渦に呑み込まれてしまう様子がこの『結ぼれ』には描かれています。
しかし残念ながら、相手もまた自分の事を思ってくれているというのは自分の思い込みでしかありません。
その思い込みがずれはじめた時に『苦』が訪れる。

人はなかなか自分の置かれている状況を客観的に把握できません。
と同時に、理屈では理解しても、この罠から抜け出す事も出来ません。
心の底からわき上がる感情は決してコントロールの効かないものですから、どうしようもない事なのでしょう。

しかし、おいらはこの本を通して、この本と出会う事で、自分を見つめ直すきっかけが得られたのでしょう。おいらはそう思っています。
(これもまた思い込みなのでしょうけれども)

 

 

本との出会い

時代は遡り1995年新世紀エヴァンゲリオンというアニメが放送されました。
7歳の頃に『ふしぎの海のナディア』というアニメに魅了されたおいらは、テレビ雑誌”ザテレビジョン”でナディアを作ったGAINAXの5年ぶりの新作アニメという記事を拝見し熱狂的に見る事にになったのですね。
あまりに熱狂的になるあまり、書店に売りに出された、エヴァの謎本を買いあさっておりました。

エヴァの謎本に掲載されていた本

そんな時に、エヴァの謎本の中に、庵野秀明が影響を受けたであろう書籍という項目があり、そこに『好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび
』というのがありまして、精神医学者が書かれた詩集ということもあって、強い関心をもったおいらは、図書館へ直行したのでありました。

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中二病を拗らしてしまった原因

リアル中二病最盛期のおいらは、「本を読む俺カッケー!!」との思いと”文学少女”との出会いを期待して図書館に行く事はよくあったのですが、そんな邪な気持ちを忘れる程に熱中してたんですね。

もうその時点で引き返せない所に来てしまったのでしょう。
ここに書かれた詩は、普遍的な人間の『心』そのものだ!と思い込んでしまったのです。
そして、精神医学者R.D.レインの著書を読みあさった訳ですね。

新たな『苦(笑)』の現れ

新世紀エヴァンゲリオンが完結して、エヴァンゲリオン独特のモヤモヤとした気持ちに渇望していたおいらは『好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび』『結ぼれ』という詩集の虜になっておりました。
エヴァの謎本に書かれていた通り、そこにはエヴァ独特の対話劇が描かれ、エヴァ独特の謎で溢れています。
しかもその謎は永遠に解説されない。作者は亡くなっており、注釈書なんてものは勿論存在しない。

今となってはブロガーの皆さんが各々の解釈を記事にする事はあるでしょうが、当時はそんなものは無く、近くには一緒におもしろがって読んでくれる友もおらず。解釈は自分に頼るしかありませんでした。

そして、どんどんその罠にはまっていく。

悲しい事に、この本と出会ったのがリアル中二病黄金時代な訳ですから、もう道を踏み外すしか無いのです。

詩集の講釈をたれ、また詩の一部抜粋し、年賀状に書き込むという暴挙に出る訳です。
確かこの時はスティーブ・ジョブズにも心酔していたので、ジョブズの名言(砂糖水の話など)も書いていたと思います。当時はまだビルゲイツ絶頂の時代だったので、みんながあまり知らないスゲー人を知っている俺スゲー状態だったのでしょう。
そしてそれをあたかも自分が特別な存在なんだと思わせる為に使っている。(ああ、思い出すだけでも恥ずかしい、痛々しい)

 

この中二心は深い所に根ざしており完治は不可能な様に思われますね。もうアウトです。諦めた方がいい。

人間なんて物は変わろうと思って変われるものではなく、なろうと思ってなった訳でもなく、あらゆる状況と情報の積み重ねでしかない。
そしてその積み重ねも自分が意図したものでもなく、誰かが意図したものでもなく、それらが重なりあい自分を形作り、その形が他の重なりあってできた形と合わさって新しい自分を生む。
だからこそ過去の自分は否定できないし、否定したところで無自覚な所で同じ事を繰り返すのです。

『結ぼれ』という本がおいらを『苦』から救い出してくれたのはいいけれども、その結果中二病を拗らせてしまいました。
どうしようもなかった、なるべくしてなったとは思うのだけれども、なんだかなぁ…と思う訳です。

結局の所、過去を振り返って恥ずかしいと思う事も、今現在進行形でこの記事を書いている時点で繰り返している訳でして、人生思い通りに行かんわなと思う、おいらでした。

ああ、生きる事は苦しい…(笑)

 

 

次回は、おいらの人生にテーマを与えた心のバイブル”空飛ぶ夢想家”とはいったいなんなのか?
バイチュ〜♪ (。^3^)ノシ⌒★

つ づ く


この記事を書いた人

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