毎年恒例、無人島ごみひろい!おいらは今年で3年目!
そう言やぁ、このブログの最初の記事もごみひろいだった気がするなぁ…。
ごみひろいを3年続けて思ったことと、最近やってるガチキャンプなんだけど、なんだか通じる部分があったので、ちょっと今回はその辺について書きなぐってみた。
体験による実感のの話。
いつものことだけど、自分の発言に責任を持つつもりはないよ。ただなんとなく思ったことです。
TAKAMASA TASHIMAさん(@tkms_all4a)が投稿した写真 –
無人島でゴミ拾いをした後はラーメン食べるのよ。
その時思ったのね。
身体を動かして頑張ったという実感を得て、美味しいものを食べてお腹いっぱいに満たされて、翌日はゆっくり休める。という事の積み重ねが人間の幸福感や満足度に結びつくと思うし、苦しみから逃れられる一つの方法なんじゃないかなとは思うよね。
よく誤解されるんだけど、おいらがボランティアをするのは島をきれいにする事とか慈善活動をするために行っていると思われてるわけよ。おいらはその辺に興味は全くないんだけれどもなかなか理解されないのよね。
おいらのゴミ拾いの目的ってのは、身体を動かして不満足を取り除くという実感を得る為にやってるんよ。もちろん好きな人たちに会えるというウエイトは大きいけどね。
具体的にいうとやりきったという事の実感なんよ。だからボランティアじゃなくてもスポーツとかでもいいのよ。おいらの場合、身体が向いていないからスポーツしないだけで、でもゴミ拾いならちょっとした運動になるからやっているわけよ。
不満足をなくす為の実感を得るとは、どういうことかというと、
ちょっとした運動→綺麗にする目的が達成される→(心が満足する)→美味しいものを食べる→(身体も満足する)
心も身体も真足された気持ちになるということなんよ。
ゴミ拾いなんてやりたくなければやらんでいいのよ。無理する必要ないのよ。理由をつけてまでやる必要はないのよ。ただ言えるのは、いつも無人島ゴミ拾いのあと感じるこの満足感はとても良いというお話であって。島をきれいにしたとか、誰かの役に立ったとか、そういう事ではなくてね。達成感とともに得られる幸福感のコストパフォーマンスが非常にいいんじゃないかと思っててね。おいらにとっては、内面の不満足を取り除くには丁度いいイベントだってことなのよ。
とかなんとか、言い訳で言いくるめて言っているけれども。照れ屋のおいらの本音は、久々にみんなと会えてお話できて遊べて楽しかった!ってことなんだけどね。
TAKAMASA TASHIMAさん(@tkms_all4a)が投稿した写真 –
ごみひろいを終えた後に食うらーめん!
美味い!
バイチュ〜♪ (。^3^)ノシ⌒★
つ づ く