ノイズを消したつぶやき。
新しいものにワクワクしたり、未来を夢見たり、変化を喜んだり。 そういうのすきだ!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 3
自分では結構真面目に真剣に「まとも」でいようと努力しているのだけれども、どうもしっくり来ない。だから色々試すんだけれどもしっくりこない。「まとも」でいる為に日々努力した結果が奇異に映っているのであれば、それは悲劇でしかないよね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 3
とは言っても、お金は人類の叡智だからなぁ…。みんなが平等に使えるようになってこそだと思うん
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 9
「支配」と「服従」の関係をもっと小さなものにする。細切れにする。関係性は複雑化するが、細分化して等しく平等化する。主従関係は大きくなくても上手くやれる方法があるのではないかと。 ――― そんな事をぼんやりと考えるのは、考えるだけの精神的ゆとりがあるからだと、少し安心している。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
ふとしたきっかけで、シーズとニーズの概念が「支配」と「服従」である事に気付いた時に、平等なんて事を高らかに叫ぶ事をバカバカしいと感じた。できる事ともとめている事を結びつける事そのものが主従関係を生んでいるだけにすぎなくて、誰もが平等に機会を得れる事に重点を置くべきなのだと。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
主従関係を細切れにして機会を平等にするというのは、大きな支配をつぶす事であって、それは反社会的でアナーキー。そんな事は誰も望んではいない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
社会から見捨てられた人たちっていうのは、結局の所孤独のままでいるか、反社会的なものに頼らざるを得ないし、救いを求めてしまう。 自分の中に自分だけの信仰を持てればいいのだろうけど、そこまで強くはなれない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
信仰心が無いのではなくて特別強過ぎたんだと思う。だからこそ自分の中に信仰を持ってしまった。良くも悪くも、そうなるべくしてなっている。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
エヴァの新劇に期待するだとか、Appleの創る未来をみたいだとかも信仰なんじゃないのかな?それとは別に、自分で物語を作ってしまったら、それは自分の中に信仰を持っていると思うね。強いけれども弱くもある。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
逆シャアを初めて観た時は意味がわからなかったけど、今みると少しわかった気がする。分かったというよりかは、当時何がわからなかったかを知る事ができた気がする。再鑑して良かった。当時と今とでは、まるっきり自分は違う存在なんだと実感できる。(ガンダムの話『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア)
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 10
自分の言葉にどれだけ自分の考えが盛り込まれているのか?殆どすべて引用じゃないのか?誰かの受け売りじゃないのか?って不安になる事がある。それほど自分の考えが明確に見えない。自分の考えなんて最初から無いんじゃないかと思う
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 12
自分の考えを話した時に、あほちゃうか?何を言うてんねんって言われると少し安心する。これはきっと自分だけの考えなんだって思える。ただ寂しいよね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 12
誰かの役に立ちたい!働きたい!って気持ちはわかるけれども、何の役に立てなくてもいい!って思える方が苦しみからは逃れられるよね。息苦しさから解放されるには、まず息苦しくしている”役に立たなければいけない”という思い込みから脱するのも一つの方法かもしれんね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 12
ポジティブってこれから先の未来の事をどうするかについて前向きで居る事なのだと思うのね。でも過去の失敗や間違いを前向きに思い込もうとしているのってなんか違う。過去の事をどうこういう前にこれからどうするか云いなさいよ。前向きな言葉でも過去にとらわれてる時点でネガティブさを感じる。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 13
過去を気にする事をむりやり前向きに捉えさせるのって日本の悪しき風習でもある精神論的だよね。どんなに前向きにしようとしたってネガティブはネガティブなんだよ。自然と内から沸き上がって来るものでない限り、それは偽りの感情なんだよ。気の持ちようなんて言うけどコントロールできるもんではない
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 13
気の持ちようで何とかなると思い込んでいる人は、本当に過去にとらわれてしまっている人の気持ちを理解できないんだろうね。だから死ぬまで頑張らせてしまう。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 13
ポジティブでいなければいけないという思い込みが、更に苦しめているように思える。気にしない気にならないようにするのが理想的なのだけれども、気にしないようにすればする程、そいつは近づいてくるからたちが悪い。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 13
お金が無いから創造するのである。できうる限りの努力をして。 想像してみよう!一億総消費社会よりも、一億ソウゾウ社会を。 その創造するためのお金がないだって?うっせぇよばーか。あんたは想像するのに金がいるのか?つまりはそういう事だよ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 13
凡俗には策が必要なのだ。”自分はどこかおかしいのではないか、という不安を持つのと同時に、自分はここがおかしい、という明確な自覚も持っていた方がいい”と、いうけれども、我等凡才は、ここがおかしいという事に自覚を持つのはなかなか難しい。 http://t.co/MHUkZP4Vd5
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 16
他人に“おかしな人”のレッテルを貼るとヒトは安心する。ならば自ら進んで“おかしな人”になろう。「違った風に考えること」が代替不可能な極めて個人的な何ものかによって構成されていると信じて…。 →じぶんのなかに狂気をちゃんと飼っておく http://t.co/J9r5Sw3Eid
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 16
馬鹿か利口かなんて、感情的に凝り固まって身動きがとれなくなってしまっているか、そうでないかの違いでしかないように思えてくることが多い。何をもって利口と言うのかにもよるのだろうけど。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 16
自分で思っている以上に、自分の事ってわからないもんだよね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 17
宗教家ってものを考えてて、ふと思ったのだけど、ネオ・ジオン総帥になったシャアって思想家、政治家ではなくて宗教家なんじゃないかなと思う。 社会の中の話ではなくて外側の話をしているし、社会全体ではなくて、社会では救われない人を救う事を考えてるからなぁ…。おいらにはそのように映る。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 18
ガンダムの話になってしまうけど、その点宗教国家ザンスカール帝国は、社会から排除された人の救済というよりかは、宗教を飼いならして政治に組み込んでる分、シャアのネオ・ジオンほど狂気ではないし、宗教的脅威もない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 18
個性的な人は好きだけど、個性を出そうとしている人よりも、なるべく個性を隠そうとしていても個性が溢れ出てしまう人の方が魅力的だな。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 25
面白い事をしようとするのは、生きている事は捨てたもんじゃないと思う努力なんだと思うな。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 25
作り手、クリエイターとして思うのは、自分の排泄物なんて自慢すべきじゃない!そんなのわかってるけど多くの人に知って貰いたい、見て貰いたい、聞いて貰いたいなんておもうのはやっぱり変態なんだろうなと、自覚しようとおもう。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
自分の子供はかわいいに決まっている。そんな事はわかりきっている。でも妄執に囚われて、作品も自分もダメにしてしまう事はある。バランスって大事ね。素直に愛せるのはいいことなのか?唯の依存に思えてならない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
自分のニーズに忠実なだけなものは排泄物でしかないのだろうな。自分だけではなく他者のニーズにも応えれてはじめて愛すべき子供と言えるのだろうな。少し見えてきた気がする(作品は子供か排泄物か?というお話)
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
嫌いな人や恨んでる人を悔しがらせる事で、自分が今少し清々しているのであれば、それは一種の幸福感なんじゃないかと思うと、相手を悔しがらせる事を躊躇してしまいがちだが、なかなかやめられないというのは麻薬的に依存してしまうもんなんだろうな。何事も無自覚か自覚してるかで大きく違ってくる
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
あゝ世の中なんてもう終わりだ!なんて言って逃げ出す前に、何が問題で何が終わりなのかを子供達に伝えていけば、問題はいつかきっと解決するとおもうよ。子供達こそ希望。投げやりだけど、人類はそうやって何万年も生きてきたでしょうに。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
分かってるからといって、それが出来るほど器用な人間じゃねぇ!無理してでも大変でもなんとか続けてそれが癖になるまで続けれてはじめて出来たっていわれるんじゃないかね。それが難しいんだよ!だからできないんだよ! いいひと。なんて、一日二日で成れるもんじゃない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
シーズとニーズが結びついて結果が出るのだから、大きな結果を得たければ、自分だけのニーズではなく他者のニーズにも目を向けなければいけない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
自分のニーズに忠実で、さらに自分のシーズが自分のニーズを叶える事ができれば、他人のシーズで叶えられるよりもきっと、満足感は大きいはずだ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
自分のニーズと自分のシーズ、更にはその他多勢の他者のニーズと他者のシーズが寄り集まって、一つの結果を生み出したときそれはとてつもない達成感と感動につつまれるんだろうな。一体感っていう奴だ。ただ、おいらはまだその経験を得ていない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 27
社会性の第一歩は与える事である。得ようとするのでばなく、与える事からはじめる。先ずは自分の出来る事、シーズを意識することからはじめよう。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 28
ありたいとあらねばならない…ありたいは自己のニーズであるのに対し、あらねばならないは他者のニーズである。よってあらねばならないをであるに変える為に努力をしなければならない。結果、自らのシーズとなる
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 28
自分の作ったものなんてうんこだ!吐き出されただけで、ただただ気持ち悪がられるうんこだ!でもそれをうんこではなくて、愛すべき子供になるかどうかは、まわりがそれを必要としているかどうかで変わるんだ!だからまだうんこだ!これからもうんこだ!でもうんこでいつづけたいとはおもわないんだ!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 6月 28