ノイズを消したつぶやき。
目標の為に苦労するのは嫌なんだよね。未来の為じゃなくて、今の為に楽しんでたら、未来も楽しいんじゃないのかね。将来何が起きるかわからんのだしさ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 1
本を読む事って洗脳に近いもんだと思うんですね。だもんで、ヤバイなと思う本は読まない様にして居る訳ですよ。 その禁書リストも結構な数になってきたので、そろそろ規制緩和しようかと検討しています。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 1
妄執なのかね?妄執かもしれないね。囚われてしまっているからね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 1
I feel like taking up something new.
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 2
『憂鬱や無気力、億劫感というのは誰でも感じる事があるが、皆は頑張ってその憂鬱感や気分の落ち込みを乗り越えている。何故、あなただけが乗り越える事が出来ないのだ』という独断的な偏見
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 3
物理にこだわり過ぎてたのかな?こだわりさえなければ、妄想も、寝ている時に見る夢も、現実も、そう変わりないのかもしれないと思い始めた。ヤバイ兆候。しかも、それに臨在感が伴なうからややこしい。実感としてそう感じてしまうのは勘違いだといつも言っているのに。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
SF設定にフィジカルリアクターという物理法則書換機関があるのだけど、これを現実に実現する方法があって、それは一緒に観測している人全員に物理法則が無効化されたと実態感をもって勘違いさせれば実現した事になるんだよね。例えば浮いたとか。でもこれって洗脳カルトの手法だよね。ヤバイヤバイ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
何が言いたいのかというと。皆が共通して認識している物理法則も、周りを巻き込む大きな勘違いの前には叶わないって事なんだよ。これってめちゃくちゃ恐ろしいなぁーと。洗脳の話
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
裸の王様ではないけれど、どんな出鱈目な事でも言い切られてしまったら反論できなくなってしまう力を発揮する人っているよね。言われた方は不思議そうに観て「そうか…w」としか言えなくなる人。あの力っていうのは凄いよね。なんて言えばいいんだろうか?言い切って押し通してしまう力の名前が欲しい
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
根拠を問われてもこれはこれと言い切れる。それで人を納得させるかどうか。そういう人っているよな。反論しようにもなんか馬鹿馬鹿しくなって何も言い切れなくなってしまう。こういうのはなんて言うんだろね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
今の自分の状態が、洗脳されているのか、影響を受けているだけなのか、単に同じ考えなだけなのか?って言う判別は自分でするのはなかなか難しい。 でも、これまでの自分の考えを大きく塗り替えられる危険性を感じたのなら洗脳かもしれない。例え、考えが同じだったとしてもね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
おいらは良くも悪くも影響を受けやすい体質なので(多分これは遺伝的な要因が強いと思う)ヤバいと感じてもなかなか抜け出せない節がある。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
大きな影響を与える人物と出会った時には、本来の自分の考えに立ち戻る事を推奨する。んで、その影響は本当に自分の考えに添っているかを考える。この時の本当の自分の考えとは影響を与えた人物と会う前の事。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
強制によらず、さも自分の意思で選択したかのように、あらかじめ決められた結論へと誘導されることもあるよね。それをマインドコントロールというのだけど、自分では判別がつかないから恐ろしい。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 5
洗脳やマインドコントロールって第三者の意識が必ず介在しているのだけど、この第三者が一人とは限らないと思うんだよね。世論や集団意識だってありえる。そう考えた時に、本当に社会が抱えている問題って問題なのかね?と思ったり、何でもない当たり前の事が大きな問題だってありえる。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
追求していくと、どこからが自分の意志で、どこまでが自分なのかわからなくなる。でも本来、自分なんてものはそんなものなんだろうけどね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
何かに固執するっていうのは、社会的影響よりも、もっと生物的な遺伝的要因のような気がする。固執するって言うのは生きるか死ぬかの本能的な判断だと思うんだよね。思うだけで、まだ何も調べていないからわからないのだけど。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
俺の言っている事は、厚さ約3nmで薄っぺらいって言われたのだけど、いいねこういう皮肉www悪い気にさせずに逆に関心させつつ相手を馬鹿にできるっていうのは高等なテクニックだと思う。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
ちなみに厚さ約3nmの元ネタは新世紀エヴァンゲリオンだよ。第拾六話『死に至る病、そして』より、使途の解説。 それもまた、元ネタがあってのパロディなんだけど、知っている人はあまり居ない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
社会の中にある問題は社会の中のシステムで解決すればいい。でもそれができない問題があるからこそ反社会的な行動にでてしまう。 既存のシステムで解決するのが望ましい、それがかなわない時に新しい方法を思いついてしまったら、それは反社会的な行動といわれてもしかたないんじゃないだろうか?
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
理想はゆっくりと、じっくりと、社会にならしながら、少しずつ置き換えていくのが賢いやり方なんだろうね。不意に、突然に、急激に、俄然に変えてしまうから反社会的だと云われる。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
物理でいうと、個人の肉体の境界は明確に見えるけど、心、精神、脳内の意識と捉えると、境界なんてないと思えてくるんだよね。かといってそれは物理的には勿論つながっていないのだけども。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
誤解を招きそうなので、いい改めると、妄想も含めて、思いは、物理的に相手には伝わらないけど伝わったと思い込めるよね。そこが境界が無い様に思える所以。 俺の思いは伝わっているはずだー!て言う勘違いは、心には境界線が無いと思い込んでいる証拠なんだと思うよ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 6
別に上から目線でもいいはずなんだけどね。上から目線だと言えばそれで批判できたと思う怠惰な精神が醜悪で嫌なんだよ。上に立つ者が上から目線なのは当然。平等がすべて、横並びこそ正義!と思っている人が言う、批判精神と勘違いした幼稚で甘えたような”上から目線という言い方”が、嫌なだけ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
自分はいったいなんなのか? 自分が半分無いんじゃないかという感じと、何をもって自分だというのかが見えなくなってしまった経験は、今になって、それ自身が”自分だと自分が認識していると思い込んでいるモノ”だというのが解ってきた。昔はわからなくて不安になってたんだけれども。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
自分が半分無いんじゃないかという感じは、幼稚園の頃に、両親が離婚して名前が変わって、他の友達にはいる、お父さんはいないんだよという事を突きつけられた時。他のみんなにはあるモノが半分無いんだといわれるのは、何をもって自分といえるのかが解らなくなる。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
何をもって自分だというのかが見えなくなってしまったという感じは、アトピーで顔が無くなった時。否定したい思いで自分をみない様にすればする程、自分をイメージしていた自分が否定した自分に置き換えられてしまって何をもって自分といえるのかがわからない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
自分らしくある!というのが解らなくなっていく感じ、逆に自分らしくないというのも解らなくなっていく感じ。怖いよ〜w 殺されるとか、死ぬかもしれないとか、記憶がなくなるとかよりも、強烈に何かが失われる感じ。怖いよ〜w 今はもうそんな事みじんも感じなくなってしまったけど、昔は怖かったね
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
理屈じゃなくってね、感覚でそう感じてしまう事っていうのはよくあるよね。 理屈も大事だし、感覚も大事だけど両方バランスをとっていたいよね。 論理的に考えるあまり自分を見失いそうになる事もあるし、経験に頼るあまり勘違いした間違った感動の所為で騙されてしまう事もあるだろうし。むつかしい
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 9
頭がおかしい事を自覚しているが故に、頭がおかしくない様に見せかけようと努力した結果、頭がおかしく見えてしまう、という事を解っている、斜め上に頭がおかしい人っていうのもいるよね。 ⇒ひろゆき氏による「頭のおかしな人の判定基準」に納得 http://t.co/5aD2JOp3Wv
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 10
観られ方のコントロールをするという事は、それだけ現実と実態に差が生じて不気味さをよりいっそう引き立たせてしまうのかな…と。セルフブランディングという言葉が流行っているけど、自分を見せ方を誤った方向にコントロールするという事は嘘つきの始まりだって事を肝に銘じないといけないすな。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 10
真っ当に生きれなかったという思いや、悔しさ、被害妄想が、一発逆転を狙った根拠のない起死回生策がセルフブランディングを歪ませてしまうのかなぁとも思う。誰にでも起きうるし、誰にでもやってしまう様な事なのかもしれないね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 10
一部の人だけの話とはいえ、成功者への僻や嫉妬も、セルフブランディングに漂う不気味な雰囲気の原因なんだろな。送り手にも現れるし、受け手にも現れる。言い出したきりがないし、何ともいえなくなってくる。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 10
自分もやっているくせに、なんかセルフブランディングが悪の様な構図の話になってきたので、もう少しじっくりと考え直したい。 上手く公正なブランディングができている人もいる訳ですからね。自分に厳しく評価できる人こそ、上手く使える方法なのかなと。 おいらはダメだ、他人に厳しく自分に甘い!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 10
具体的に物事を捉えるか?抽象的に物事をとらえるか?だと、おいらは抽象的に物事を捉える方が好き。ただ、抽象的に捉えすぎて思考を2極化させてしまうとステレオタイプとかっていわれたりするんだろうだけどね。具体化も抽象化もバランスよくできた方が理想的
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 11
共通点を見つける遊びは結構好きだし、好きだったなーともいえるし、これからも好きでいたいね。 共通点を見つける遊びをしている時に、新しいアイデアや面白い事って浮かんでいるような気がする。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 11
現代においても、先の大戦の大失敗を繰り返す日本的精神論。足りない資源を気持ちで補わせ、全体的問題を個人の努力に押し付けるブラック企業。昔も今もなんも変わっとらんね。これからもずっと、日本人は気持ちと個人の努力だけで頑張っていくつもりなんだろうか?
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 12
そうそう、日本的精神論が最も美しい形で成功している姿を描いた『トップをねらえ!』は超オススメ!日本が戦争に勝って大日本帝国は地球帝国に!帝国宇宙軍が宇宙怪獣と戦うロボットアニメ http://t.co/S2d24qBWkI!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 12
ちょうど今、不思議な感覚を体験している。匂いをかいだ時の感覚だとか、音を聞いた時の感覚だとか、景色を見た時の感覚を急に思い出した。なんだろこれ?匂いもしない音も聴こえない映像も浮かばない。でも、そのとき感じた感覚だけが浮かぶ感じ。今強烈に強いのはサイダーの匂いをかいだ時の感覚
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 13
根がネガティブな所為か自分でもついやってしまう事なんだけど、自虐的につぶやくのってなんか損だよね。せっかく、楽し気で面白そうな素敵なことをしてても、為になる事を言っても、”自虐的な一文”を添えてしまう事で台無しになっちゃう。ほら、このつぶやきでも台無しにしちゃった一文が…。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 16
人間なんて物は変わろうと思って変われるものではなく、なろうと思ってなった訳でもなく、あらゆる状況と情報の積み重ねでしかない。 ⇒結ぼれる思考。心のバイブル http://t.co/zVZT0tPj84
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 16
その積み重ねも自分が意図したものでもなく、誰かが意図したものでもなく、それらが重なりあい自分を形作り、その形が他の重なりあってできた形と合わさって新しい自分を生む。 ⇒結ぼれる思考。心のバイブル http://t.co/CciAq4yaf1
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 16
自分だけの真実が存在して、他の人には無意味であることはよくある話。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
面白い人になりたい。馬鹿にされてもユニークな人でありたい。切望すればするほど、自分は面白くないんじゃないかなと思ってくる。と、見せかけて実は自分って面白いって思っているうぬぼれやだったり。 まぁ、本人が自分で言う事は信用ならんという事ですな。俺は詐欺師だ!うさんくさい!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
夢の話をしていて、最終的にどうなっていたい?って聞かれるんだけど、求めれば、いくらでも求められる訳だしさ。結局の所、終わりがよければ全部いいじゃんってなるよね。人生なんていつ終わるかわかんないんだしさ。いつ死んでも現段階で、できる限りできる事を実現している状態が理想的だよね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
夢(求めている事)の中に今やっている事(できる事)が含まれていて、今やっている事(できる事)の中にも夢(求めている事)が含まれていれば、 夢は実現しているでしょう?これがシーズニーズ論でいいたい事なんだけどね。 #シーズニーズ論
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
夢を実現する為に、今この手段をとっている。でもその手段が段々と、本来の目的である夢とは違ってきた時に、第三者から見た時に不気味な違和感が生まれるんだと思う。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
人間の考えなんて移り変わってゆくものだし、別に手段が目的になってもいいんじゃないかね?とは思うよね。 でも、他の人からすると前と云ってる事が違うじゃねーかー!ってなってしまうと思うけど。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
Peerthはできる事と、もとめている事を結びつけるサービスですから、社会において相互互助的な関係性を促進させて、大きな影響を与えると言ってきました。でも、それって僕の中で違和感を感じるんですよね。事実としてそういう目的で作ってはいるけれども、もっと個人的な話だと少し違う。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
ちょっと面白いものが作りたくて、それを作るのに協力してくれる人がいる。社会をより良くする事が目的というよりかは、本来はもっと作りたい、作って楽しみたいという所が大きかった。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
しかし、多くの人にその存在を知ってもらわなければ、作っていく事はできない訳で目的を大きく大きく見せようとしてしまう。 僕自身には、Peerthを通してもっと大きな夢はあるけれども、それが、原動力になっているのかと云うと違って、作る事が楽しいから作ってきている訳です。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
Peerthはどんなにゆっくりでも作っていきたい。素直な気持ちを正直に話すと、作っていて楽しいし、作っていきたいからね。 今日この日、2月17日の3年前。2011年にPeerthは、ローンチしました。おめでとう。お誕生日です。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
そして、更に正直に話すと、少し邪な話になるかもしれないけれど、Peerthが大きくなって、もっと多くの人に使ってもらって、社会に大きな影響を与えたいね。どどーんと爆発!
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
SNSのUIが変わっていくのをみると、これかっこいい!これやりたい!って思う。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 17
変な人という言葉には、不思議な感じがするというのと、気持ちが悪い、っていう二つの意味があると思うのね。んで、個人的な話だけど、不思議な人というのは割と好意的に受け止める事ができるのだけど、気持ちが悪いというのは悪意として受け取ってしまうんだよね。この線引きがなかなか難しい。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
変なひと耐性がついてしまうと、その辺の変な人は変な人に思えなくて、というよりも変である事を意図的にしている、もしくは演出している人を見るとしらけてしまうんだよね。 本人も気付いていない、わりと自分は普通人だと思い込んでいる人の中にある変な部分を見つけるのが面白いわけですよ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
変な人という言葉には、二つの意味合いがあるけれども、もし直接誰かに「変な人ですね」と云われたら、直接本人を前にして言っているのだから、それは好意的に不思議な人だと思われている様にすれば、心休まるでしょう。逆に陰口で変な人だと言われているのを耳にしてしまったら、もう諦めた方が良い
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
残念な事に他とは違った人である、”変な人”というのは、常識が無く反社会的に捉えられてしまうので、一般的に、普通の生活をする人にとっては、嫌われてしまう対象でしかないので、変な人と云われたら諦めた方が良いでしょうね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
”変な人”を嫌う、普通の人には嫌われているかもしれないという、心の寂しさを埋め合わせる為に普通の人の中にある少し変わった部分を見つけて個人的に楽しめれば、心は休まるんじゃないだろうかね?(性格悪いけど)
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
カラコン入れて、瞳を大きく見せている女の子を見かけるとかわいいなぁと思って、自分もしたいなーと思うんだけど、それはかわいい女の子になりたいとか、そういう事ではなくて、どちらかと言うとその綺麗な瞳が美しいなぁと思っている訳だから、目玉が欲しいだけなのかもしれない(怖い)
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 22
自分の頭の中にある妄想を妄想と自覚しながら、その妄想を誰かに聞いて貰いたくて妄想話をするけれども、言葉足らずな為に、嘘つきと言われるのは幼い頃には、誰にもある事だと思うのだけど、それを未だに現在進行形でやってしまうというのは、何か欠陥があるのだろうか?
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 23
死後、50年から250年後にどうなっているのか?なんて、生きているうちにコントロールできる事ではないので、考えるだけ無駄なんだけれども、遠未来を夢みるのは悪いことではないと思うよ。楽しいし。個人的には、1万2000年後にどうなってるか夢みている。強欲だし。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 23
平等と差別の無い社会を望んでいるのならば、生まれ変わりなんて信じるべきではない!前世の行いがこの世に、この世の行いが後の世に影響を及ぼすというのは、生まれながらにして差別し平等の社会を否定している事につながるという事に気付くべきである。http://t.co/myv5IjD3vu
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 24
阿呆なつぶやきを晒すのも、ちょっとおかしな話をするのも、気が狂れてるような嘆きを叫んでしまうのも全部、このイラストアイコンである ←コイツが話している事だと思い込む事で、なんだって、声高らかに叫ぶ事ができるから不思議! もはやこれは自分であって自分ではない、別の何かの気がする
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 24
垂れ流された情報を鵜呑みにするのは、ネットだろうとテレビだろうと同じ事。都合のいい見聞きしたい情報だけを選ぶ。だから、間違った情報を拡散してしまうのも同じで、罪とかではなくて、只流されてしまってるだけ。コントロールできたもんの勝ち!気に食わないけどそれが現実なんだろうな。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
心から尊敬する学友の戦場カメラマンは写真にキャプションを付けるのを嫌がる。それは情報をコントロールしてしまうからだそうだ。1枚の写真にタイトルを添えるだけで受けての印象を大きく変えてしまう。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
彼は中立で居たいと思っているのだけれども、写真を撮るという行為自体が取った人物の主観が入るので、そもそも中立なんて事はできないと、自分の思想のジレンマに苦しんでいた。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
おいらは情報をコントロールしたいと思っている側の人間なんだけれども、おいら自身は、人の心の内面にまで入ってコントロールなんてできないんだよなという諦めがある。 だからこそ、みんながみんなそれぞれに、自分に都合のよい情報だけを受け取り、自分に都合がいい様に解釈している様が面白い。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
物理的に遮断された他人だからこそ、人の心はコントロールできない。 思い通りになんてならないのだから、思い通りにしようなんて極端な考えは諦め、相手の思いを尊重し、中立、中間、中観派を目指す。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
誠心誠意をもって、相手に接し、極端な事をせず、中道を目指すのは好きだし、そうありたいと思っている。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
あらゆるシーズと、ニーズを結びつけたいというのは、それは、あらゆる物事を中道へと導くという理想があるからこその、願いなんだと考えているよ。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27
中道へと導くというのは、誰かがやってはいけない、それは、それだけで誰かの主観が入ってしまうから。 だからこそ、自動的でなくてはならない。自然に結びつかなければならない。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2014, 2月 27