人を救うという事をちと考えてみた結果、救われない人は救える所にいないから救えない事に気付いた。

Hi! ハローハロー!!
永遠に”厨二病”を拗らせてしまっとるたーくんです!

よく考える事で、なんとかしてやれないかなぁ?とか、
こうすればもっと良くるのになぁ、という人を結構身近で見かけるのですが、
なんとかしてあげれた試しが無いです。

それでも、側にいるだけでなんとか救ってあげれるチャンスはある訳で、そういう子はまだ比較的幸運だと思います。

なぜならば、人と触れ合う事で自分の考えや行動に無自覚のうちに影響を与っているだろうと思えるからです。

ボクの周りには世の中に絶望して文句たれている子や、
この世から早く抜け出したいと思っている人が結構いて、
そういう人はやっぱりまだマシなんかなって思うわけっすよ。聞いてくれる人がいるから。

でもそうじゃない人はどうしているのか?
ボクは知らない。そりゃそうでしょうよ、ボクが知っていたらその時点でその人は、
助けが無い人では、無くなってしまうのだから。

 

この続きの記事はボクの日頃の思いや思想である”自由意志なんてほんとは存在しないんじゃないか?”っていう考えにはそぐわないかもしれないけれども、少しでも希望を持ちたいので書く事にする。

 

さて、本題はニートを救うにはどうすれば良いかという話である。
本当のニートは何処にいるのか?
真のニートはやはり真のニートらしく、社会一般の皆がいう、ニートらしい行動をとっているのでしょう。
ひきニート(ひきこもり)こそがニートの究極系。
外に出るなんて言語道断。まだまだ救われるチャンスがある積極的な人は、ニートとは呼べません。

実際に統計として出ているニートの数に対して、ニートを問題視する人が少ない所からも想像できるでしょう。じっさい見えないのです。社会的には透明人間なのね。
だからニートへの社会の理解が得られない。誰も救おうと思わない。自己責任でしょ?って言う考えがまかり通る。

(ボクは自由意志なんて存在しないんじゃないか?って思いにゆれ動く立場なので、自己責任論に甚だ疑問を感じるが、自由意志なんて存在しないんじゃないか?って考えてしまうと、自己責任論以前に、ニートを救う手だてを失ってしまう様な元も子もなくなってしま様な話になってしまうし、今日はその話をしたい訳ではないのでまた今度)

では、ニートは何をしているのか?
そんな事は知らない。だってボクが知っているという事は、何らかの手段で僕と接触できる訳だし、誰か他人とふれあえる場所に出て来ているのだから。
そんな中でもニートらしき人たちと接触できる場所がある。

ネットである。

ボクはネットの中でいろいろな人と出会った事があるんだけど、その中でも1日の殆どの時間をネットの中にいる人がいるんです。何時にログインしても必ずいる人。
ボクにぴったり当てはまりますが、ボクの話ではありません(笑)
そして、そういう人と話してみるとやっぱりみんな助けを求めているのです。

彼らの言葉は罵詈雑言の嵐である。まるで「わたしはここにいる」と叫んでいるように。

こういう事に遭遇すると、Peerthを作ろうとした時の疑問を思い出すんですね。(←この事は後日ブログにするつもりです)
当時は”映像を作れる人と作ってほしい人 音楽を作れる人と作ってほしい人”、でしたがその時に思った事がそっくりあてはまるんです。なんで助けを求めている人が大勢いるのに、皆それに気付かないのだろう?

気付く事が出きれば、それぞれ皆がそれぞれ出来る範囲で助けてあげられる、もしくは、それぞれ皆がそれぞれ出来る範囲で助けて貰えるはずなのに。

誰かを救えるなんて善人ぶった事を言ってんじゃねぇ!
人を救えるなんて思うな!救われるのは、自ら救われたいと思った人間だけだ。

的な事をお釈迦様は仰られていた気がしますが、
うん、そうなんすよね。
なんとか自分から救われようと思うから、外に出る訳で、
真のニート、完全なるニートの究極系引きニートは、救われるチャンスが無い訳です。

でも、何処か、外部との接触があれば、それこそネット上で誰かと接触している事で、自ずと救われようと思うきっかけが生まれるかもしれない。

そのチャンスぐらいは用意できるんじゃないかな?とボクは思う訳です。
(自由意志なんて存在しないんじゃないか?という考えには反しますがf^^:)

 

ブログでは、まだ記事に出来ていないけれども、ボクのシーズニーズ論をある方に話した時に、君の言いたい事は愛の話だねと言われた。

与える者と受け取る者が手を伸ばし合わなければ成立しない。

キリスト教系の人の話だったので仏教徒のボクにはイマイチしっくりこんかったけれども、ボクの言いたい事はそういうことです。違うもの同士がお互いに過ごせる場所お互いに結びつく事が出来る場所を作る。

 

救えない人を、救える状況に近づけるには、
救えない人がいる場所に近づかなければいけない。
もしくは救って欲しい人が近づきやすくしなければいけない。

そういう人は何処にいるのか?
という事を考えれば、自ずと答えは導きだされると思います。
救わなければいけない人がいる場所に、救える場所を作るだけです。
救える場所は何処か?

それを知っているのに救ってあげないのは、やっぱりなんか違う気がします。
それをするのがボクの使命と考えたりなかったり。

救われたいと願っている人は助けてあげたいと綺麗ごとを並べてみます。
少なくともPeerthをつくった最初のきっかけはそうなのですから。

 


つ づ く

この記事を書いた人

Peerth

Peerthは、シーズ『できる事』とニーズ『もとめている事』を結びつけるwebサービスです。