平成二十七年、高野山は弘法大師空海の手で
密教の道場が開かれてから、一二〇〇年目。
行きたい!という願望ではないのよ。
かといって、
行かなければいけない!という義務感でもないのよ。
なんだろね。何かしらいつかは必ず行くのだろうな。という気がしていたね。
ただそれだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
六月二十九日、おいらの誕生日に高野山に行ってきたのである。
行ってよかったね。特に奥の院は凄かった。しかも天気が晴れてたのが良かったね。
高木の緑の隙間から差し込む光に照らされる、苔生した墓石が綺麗なのよ。
綺麗って印象が残るのがすごいよね。
苔なんてじめじめしていて薄気味悪い印象しかないと思ってたのに、光が差し込むとこうも美しくなるのか?と感動したよ。
青空が見えるのも心を落ち着かせたのだろうね。
墓地なんて、人によったら不気味で仕方のない場所なのだろうけれども、おいらそうは思わなかったな。
”安心”とは少し違うのだけれども、普段はどこにいてもうずうずして落ちつかなくてじっとしてられないのね。でもここではゆっくりと佇んでいられる。
こうも心落ち着く場所だとは思ってもみなかったよ。
高野山を半日かけて巡った後、金堂にたどり着いたのよ。
閉館時間になっちまって、バタンバタンと、音を立てながら戸を閉めているのを目撃しちまったのです。
大きな木の扉って、普段は開いているか、もしくは固く閉ざされているところしか目にしないわけよね。
それがバタンと勢い良く閉められるわけよ。おもしろいやん!
動いてるとこが見れるわけよ。
おいら、あまりにも興味深げにみていたんやろね。
戸を閉めている方が話しかけてきてくださったのよ。
「毎朝こうやって全部開けて、時間がきたら閉めているんですよ」って。ほぉ〜と感動しながら、毎日大変ですなぁと思いつつ、こんな重たそうな扉が閉まることが面白かったので、おいらは「やっぱり重たいんですか?」と尋ねたのね。
「◯キロ(トンやったかな?)ありますからねぇ〜」と答えてくださって、「閉めてみますか?」と言ってくださったのよ。
いやいや、そんなの畏れ多いと思いながらも、好奇心に負けちまってさぁ、ありがたく重い戸を閉めさせてもらったのよ。
そしたらさぁ、やっぱり重たいんだけれども作りがしっかりしてるからスムーズに柔らかく閉まるのよ。その辺のドアよりも滑らか。なんだこの匠のは!って感動しちまったよ。
閉館時間は過ぎてしまったけれども、外観だけでも大門みてみたいなーと思ったので、バスもなかったけれどとぼとぼ歩いて大門まで行ってきたのね。
大門には男の子と女の子が二人ベンチに座ってる。近くの高野山高校の子かな?
二人で仲むつまじい感じなのにじじいがしきりに話しかけるのよ。
どこからきたんや?とかね。二人は寮で暮らしてるんだって。
おいらは聞き耳立ててただけだけどね。
限られた時間を二人で過ごしてるんだからさぁ、じじい邪魔すんなよとか思ってた。
おいらの中では二人は付き合ってることになってる(笑)
毎年誕生日には紫陽花の写真を撮っている気がするなぁ。
バイチュ〜♪ (。^3^)ノシ⌒★
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